8bro

キャラメルプライベート

夏に難しい言葉は使わない。


科学館に行ってプラネタリウムを観よう!というコンセプトで友人と出掛けた。
夏休みラストスパートの小学生の大群や、制服を着て何やらプリントに書き込んでは館内を急ぎ走り回る中学生達に紛れて館内を歩く。
薄々感づいてはいたけれど自分は「科学館」というところがとても好きらしい。
脳天から爪先までどっぷり文系な僕は数学や科学の知識が乏しく、だからこそ、理数絡みのことに対して盲目的なまでに憧れと尊敬の念を抱いている。

知らないことが詰まっていて、なんでもできて、簡潔で、なんかカッコイイ!みたいな。

文字にするといかにも馬鹿丸出しだけど実のところ本当にそう思っている。
科学館ってそんな気持ちをギューッと込めた施設だと思う訳、というか実際そうな訳。

自分が死んだ暁にはプラネタリウムの地縛霊になることに決めた。
だって、ずっとずっとあそこにいられたら最高だ。


先日また1つ歳を重ねた。
誕生日に合わせて友人が美味しい夏のお菓子を送ってきてくれた。
何かが届く度に思うけど、小包ってどうしてこうも嬉しいんだろうか。


夏は多感になるけれど、そうして多くのこと受け取って出てくる夏由来の答はピントの合ってない写真みたいな、そういうどうしようもないようなものばかりな気がする。
壁に飾ることもできないけれど捨てることもできないから、引き出しとかにポンと入れておく。


昔の友達は、みんな会う度どんどん優しくなるから、川を流れる小石みたいにこのままどんどん丸くなっていって最後は一体どうなっちゃうんだろう、とか時々不安になる。
たぶん自分も年々優しくなっていて、それは色んなものを見て許容範囲が広くなったっていうのもあるけど、人間と関わることに慣れてきて手を抜き始めたっていうのもあると思う。
手を抜くというか、節度を知ったというか、要領がよくなったというか。

本当は要領なんて良くならなくてもいいんだろうけど、一度やり方を知ってしまったらもう戻ったりもできないんだよなあ。

そして特段戻りたいとも思えないのは、何でもかんでもあけっぴろげにすることが必ずしも正義って訳じゃないって知ったからなのか。
本当のことなんて、誰にも言わなくていいんだよ。

僕もあなたも、あの人も。本当のことなんて誰にも言わなくていいのよ。
「あなたの全てを知りたい」っいう欲求は一種の脅迫だと思う。
その要求にNOと答えたらまるで極悪人をみるような目で見られるけど、例え本当のことを言ってなかったとしてもそこに愛があったらいいんじゃないかな、と。
対峙する1人1人に向けて1つ1つ愛をこめて作った化けの皮をかぶる日々、それってただ丸裸でいるよりは愛があると、僕は思う。


プラネタリウムで初めて知ったんだけど、ブラックホールは穴じゃなくて球らしい。
ホールって名前なのに!騙された!!
ただでさえ得体が知れなかったのに、もっと得体の知れないものになった。

絶対そんなものに吸われて死にたくないって強く思ったけど、例え僕が「ブラックホール(実はボール)に吸われて死にたい!」って熱望したとしてもそれはそれで絶対叶わないんだろうなってことにも気付いた。

でもやっぱり恐ろしかったから、まず敵を知らなくてはいけないと思い宇宙の本を買った。
今読んでいる虫の本が終わったら読もう。