8bro

キャラメルプライベート

数独にはまる。

春が夏の尾を掴もうと、そろりそろりと爪を伸ばしていた夜。
真っ暗な病室でレントゲン写真を覗き込むとカラフルな骨が組み合わさって、人形劇が催されていたような夢をみた。
ちなみに先週みた夢は、水たまりから引きずり込まれて別の世界の水たまりに出る。
動物とピエロしかいないパステルでいい匂いのするその世界の商店街で、僕は大きな白鯨の式神を従えて古い薬屋さんの店主になった。
たまにピエロがきて薬瓶を割ろうとするのでピンクのかんしゃく玉で追い払うのだ。

人の夢の話ほど下らないものはないので夢日記はこのくらいに。

 

夜に食われっぱなし。

眠ってばかりで、どうも世界との音程が合わない。

近所の豆腐屋さんでがんもを買って湯掻いて食べて世界との調和を図るが、やはり上手くいかない。

なんでだろう、ちゃんとダシ汁作って一緒に食べたのに。
まあそういう時ってある。
色鉛筆で色を塗っても変な色になったり、ふいに書いた文字が妙に汚かったり、書き直しても全く変なバランスのままだったり。

急に家に宗教の勧誘がきて「いま、来客中ですので」と法螺吹いて断ろうとしたけど「いま、らいかくつーですので」って言っちゃったりして、咳払いして言い直す。
なんだよ「らいかく」って、客を「かく」って奥の細道の序章かよ。風流だなおい。

 

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凄いオレンジジュースが似合う花柄のガラスコップを買ってしまったので、そりゃあもう大きなオレンジジュースのパックを急いで買った。

ちょうど安かったし。注いで飲んで大変満足。
オレンジジュースが注がれたこのコップをみているときは、世界って美しいのな、となにかしらの愛を感じる。
自分で言ってて思ったけど、個人における世界の定義って案外適当なもんだな。あと愛も。
みんな世界だの愛だのって言ってるけど、結局それはそれぞれの超個人的な小さなイメージに基づいて語られることだから、あんまり気にしなくっていいってことかな。
自分で検討するには良いテーマだけど、「愛」とか「世界」とかって、人に語られると物凄く威圧的に膨らむ気がする。
相手の「世界」も「愛」も、目にはみえなくて、それなのに大きな音を立てて崩れたり組み立てられたりしている気配はある。

だから、夕方の影みたいにどんどん大きく長くみえてくる。

畏怖と崇拝は紙一重なので、同着に強く憧れもする訳ですが。僕がビビりなだけかな。


おめでたいことに僕の世界平和は色々なところに点在している。
春の朝に透けいる白いカーテンや、図書館の静寂や、上手く焼けた目玉焼きの中にもそれはいて、こっちをむいて「あいらぶゆー」って言ってくれる。
ああ、僕だって、あいらぶゆーだよ。
カーテンも、図書館も、目玉焼きも花柄のコップも、抱き締めてプロポーズしたいくらいに、かっこいい形のツララをあげたっていい位に、愛してるよ。
思い悩んだりしているとそういうものに気づかずに何個か踏みつけてしまっていて、そうしてある一定の平和が揃わないでいると日常の音程がずれていくのだろう。
ちょっとずつちょっとずつ、嫌な夢をみてしまう。
この前、天井にあった小さな鍵穴に小さな小さな鍵を差し込んだら大きな鐘の音と共に煉瓦造りの礼拝堂が真っ二つに裂けた。
ごめんなさい、と言いながら走って逃げたら何かにつまずいて転んだけれど、
それは赤いスライムを吐いて死んでいる痩せた犬だったので、ますます恐ろしくなった。

というシュールリアリスムばりの悪夢をみたので、非常にげんなりした。
悪い夢をみると二度寝をしようとは思わないからそれはそれでいいんだけれど。
ああ、また夢の話をしてしまった。