8bro

キャラメルプライベート

甘いまま凍てついた議論の死骸

ままごとのような恋愛しかできない僕は非道と呼ばれても仕方がないのかもしれないけれど、親身になれない他人の相談事と同じような色にしかみえないのだから、非難されてもきっと真摯に反省はできない。
こういった倫理を体内から外気にむけて言葉として形作ると、なんだかいつも本質とは違ったものになってしまったような喪失感がまとわりついてくる。

世界には既存の定義がひしめき合っていて、僕もそのどれかを息をするように無意識に選び取って生きているのだから仕方のないことなのだろうけれど、僕の体内で脈打つこの胚は、確かに温度も色もある大切な一個人なのにそれを伝える術が僕にまだ備わっていないような気がする。

誰をも欲しくないのに、誰かに触れられると息が止まる。
そのまま死んでしまえばいいのに、そうはいかないのが日常というものである。
人には面倒なものが沢山備わっていて、苦しみもまた糧になったりして、はた迷惑なシステムだ。

強靭さなど要らないのに、どんどん丈夫になっていく。

誰かを好きになったような気になっても、結局のところ嵐が欲しいだけで、甘さが欲しいだけで、熱のある思想が欲しいだけだから、その人自身が欲しい訳じゃない。僕をあげたい訳でもない。その揺らぎを肴に文章や思案をめぐらせて愉しいだけの悪趣味な人間というだけのこと。
そういうところが生物として駄目だって分かっている、だからもういいのに
もういいの
それなのに
まだ若い、まだ若いのだからと言われて、まともに悲観することも許されない。
足踏みをしている気分だ。早くうんと歳をとって堂々と絶望したい。

人はどうしようもなく独りなんだよ?って言うと、そんな寂しいことを言うんじゃないと叱られる。
寂しくなんかない、あなた方が夢みてるものと僕が夢みてるものが違っているだけのことです。
あなたは孤独が嫌いなの?こんなにも美しいのに?
誰といても、物を考えているとき人はいつでも孤独になれるでしょ。それは、素晴らしく静かでこの上なく美しい時間だと僕は思う。
だから僕は考え事が好き。


孤独という字の中には、キツネと虫がいるようだけど、キツネと虫は特別孤独なのかな。