メールを打つとは言いますが
夜、バスの席に座って、ただ黒いばかりの窓の外を眺めていた。
そのときイヤホンから流れてきた音楽が「♪君にメールを打たなきゃ」云々と歌っていたのだけれど、その言葉が耳の奥の渦巻きのところにカランと引っかかったようなそんな感覚が。
「メールを打つ」とは言いますが。
現代において液晶画面を押しながら作るメールは「打つ」という感じを受けないのに、なぜそういう表現なのだろうか。すごく気になる。
眠る液晶画面のように暗く反射するバスの窓をじっと見つめながら、メールを「打つ」ことになった元を目指して少しずつ遡って考えることにする。
スマートフォンが「打つ」の起源ということはまずないだろう。
これも打つというより「押す」といった感じ。
それでは携帯がない頃のメールの手段といえば、パソコン。
「キーボードを打つ」という表現があるにはあるが「打つ」という言葉に内包されている強さに対して、キーボード程度では役不足のような気がする。
うむ、やはりこれも「押す」。
電子メール文化としてはここで途切れることになるが、最初の「打つ」はもっと前にあるような気がするので続ける。
パソコンの前は、ワープロ。
しかし、ワープロのキーボードもパソコンのそれよりは分厚いとしてもほぼほぼ同じ程度だ。
だがしかし良い感じで「打つ」に近づいてきた。もう一息。
ワープロの前はタイプライター、おお、これはもう「打つ」だ。
確実に「打つ」だ。
キーの形といい、音といい、納得の「打つ」。
よしこれでゴールかと思いきや、いや、まだだ。
腰を下ろすにはまだ早い
そうです最後の大ボス、紹介します「打つ」選手権金メダル、電報。
電報はモールス信号で伝達されていた。
モールス信号なんてもう、指くじくんじゃない?て心配になるくらい打ち付けている。
まさに比類なき「打つ」、「電報を」ときたら「打つ」。
ここだ。ゴールの手応え。
電子文章を「打つ」の起源はきっと電報です。
忘れないようにメモしておこう、とまごまごしていると、いつの間にか降車するべきバス停が近づいていた。
バスから吐き出されると、棘のある冬の夜に体がめり込む。
寒い、しかし結論の手応えを噛み締めて僕は上機嫌だ。
数分間だが良い旅ができた。
残りの帰り道はぎゃんぎゃんのロックでも聴きながら歩こうかな。
耳の奥の「打つ」にかまけて流すばかりだった曲を遮って、既に一言目から叫んでいるぎゃんぎゃんのロックにダイヤルを合わせた。
自然と足取りが軽やかになる。実に良い夜だ。